*MEDIA*


2018.3.13「東京新聞」(群馬版)掲載

http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/list/201803/CK2018031302000153.html

(2018.3.13 掲載)

 

「ふるさと浪江を熱唱 牛来美佳さん <心の中で寄り添って>」

 

東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から七年を迎えた十一日、太田市で復興などを願うイベントがあった。

 東日本大震災復興支援コンサート「長岡寺(ちょうこうじ)ライブ いま、私が望むのは」が長岡寺(酒井晃洋住職)で開かれ、原発事故のため福島県浪江町から同市へ避難しているシンガー・ソングライターの牛来(ごらい)美佳さんらが出演した。

 会場の本堂には二百人あまりが詰めかけ、歌や演奏に耳を傾けながら被災地に思いを寄せた。

 牛来さん自身が二月に撮影した浪江町の荒れた田畑などの映像を上映。代表曲「いつかまた浪江の空を」を切々と歌い上げると涙ぐむ人もいた。

 牛来さんは「たくさんの人に出会い支えてもらいました。(復興には)おそらくあと何十年もかかるでしょう。心の中で寄り添っていただきたい」と訴えた。

 尾島ボランティアセンターでは「3・11を忘れない=絆のつどい=」があった。主催はボランティア団体でつくる市社会貢献活動連絡協議会(赤堀賢一会長)。

 つどいでは、あの日を忘れないようにと三・一一メートルの「ながーい絆のり巻きづくり」が行われた。のりの上に敷いた白飯と、卵焼きやキュウリ、カンピョウなど七種の具材を子どもからお年寄りまでが声を合わせて一気に巻いた。黙とうの後、のり巻七本は切り分けられ参加した百人の昼食になった。「普段の生活がいかに幸せか考える一日にしましょう」と赤堀会長は話した。


2018.3.13「毎日新聞」(群馬版)掲載

https://mainichi.jp/articles/20180313/ddl/k10/040/136000c

(2018.3.13 掲載)

 

東日本大震災7年

「心の復興、音楽で支援 歌手の牛来さんがゲスト 太田でライブ /群馬」

福島・浪江から避難 当時の服装で感謝伝え

 音楽の力で心の復興を手助けしようと、太田市の音楽愛好家らが11日、太田市西長岡町の長岡(ちょうこう)寺で復興支援ライブを開いた。福島県浪江町から太田市に避難しているシンガー・ソングライターの牛来(ごらい)美佳さん(32)がゲスト出演し、約200人の聴衆やスタッフたちに「震災がなければ出会えなかった人たち、支えていただいている人たちとのつながりを大切にしていきたい」と感謝の思いを伝えた。【阿相久志】

 牛来さんは、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故が発生した7年前の3月11日に着ていたのと同じ服…

 


2018.3.12 「朝日新聞」(群馬版)掲載

https://www.asahi.com/articles/ASL3C64WYL3CUHNB00G.html

 

「群馬)震災7年、被災者へ思い寄せ」

 

東日本大震災から11日で7年。

 太田市西長岡町の長岡寺では、地元住民らでつくる実行委員会による復興支援コンサートが開かれた。福島県浪江町出身のシンガー・ソングライター牛来(ごらい)美佳さん(32)の歌に、集まった約200人が聴き入った。

 この日、牛来さんが着ていた服は、7年前の被災当時に着ていたものだ。当時は東京電力福島第一原発の下請け会社で仕事をしており、「まさにこの日だったのかと思うと、こみ上げる思いはたくさんある」と説明した。

 《いつかまた浪江の空を また…


2018.3.12 「上毛新聞」(群馬版)掲載

(2018.3.12 掲載)
 

「自作曲 故郷の空へ 浪江から避難の牛来さん 太田でライブ」

 
東日本大震災の復興支援コンサート「長岡寺ライブ いま、私が望むのは」が11日、群馬県太田市西長岡町の長岡寺(酒井晃洋住職)で開かれた。福島県浪江町から太田市に避難しているシンガー・ソングライター、牛来美佳さん(32)が地元の近況を伝え、故郷を思う自作曲「いつかまた浪江の空を」などを歌った。
 
牛来さんは震災当日に着ていた服で舞台に上がった。7年の月日について「周囲から話し掛けられて、そっか、もう7年だと。こみ上げる思いはたくさんある」と等身大の感覚を述べた。コンサートはGO!DO音楽祭実行委員会(石原健司委員長)が震災翌年から開いている。ゴスペルやコーラス、チェロの独奏などもあり、被災地を思う心を一つにしていた。


2018.3.9 「産経新聞」(群馬版)掲載

https://www.sankei.com/affairs/news/180309/afr1803090031-n1.html

(2018.3.9 掲載)

 

-東日本大震災7年-

「故郷を思って歌い続ける シンガーソングライター、牛来美佳さん(32)

福島から避難、群馬で活動」

 

東日本大震災は間もなく発生から7年を迎える。群馬にも多くの人が移り住み、新天地での生活や仕事に希望を見出している人もいるが、それぞれの故郷への思いは消えない。東京電力福島第1原発事故の影響で福島県浪江町を離れ、避難先の太田市を中心に活動するシンガー・ソングライターの牛来(ごらい)美佳さん(32)は再び故郷で暮らす日が来るのを信じて、歌い続けている。(平田浩一)

 「現実問題として、難しいとか無理だとかが正直、前提になってしまいますが、浪江町に戻りたい気持ちはもちろんあります」

 震災以降、福島県郡山市などで避難生活を送り、最終的に10代のころに数カ月過ごした経験がある太田市に長女とともに移り住んだ。

 「自分の生活を考えさせられた7年間だった。最初の3年間は、とにかくどこでも歌を聴いてほしい、聴いてほしいと突っ走った」

 一方で、太田市への愛着も深くなっていった。

原発事故の影響で全町避難が続いた浪江町は昨年3月、一部を除き避難指示が解除された。

 今年に入り、1月中旬と2月下旬に浪江町で歌手活動を行った。久しぶりに街中をゆっくり回ったが、目にしたのは除染などで出た廃棄物が入った山積のフレコンバックの衝撃的な光景だった。

 友人らも故郷を離れ、バラバラに暮らす中、震災から丸7年を迎える11日、太田市西長岡町の長岡寺(ちょうこうじ)で恒例の「復興支援コンサート~長岡寺ライブ」を開く。

 メーンとなる曲は、故郷への思いを込め、3年前に発表した「いつかまた浪江の空を」。それぞれの地で暮らす住民が再び故郷に戻って空を眺められる未来を信じて頑張っていこうというメッセージソングとなっている。

 「(浪江町からの)強制避難は、人生で思いも寄らない出来事だった。起こってしまったことなので、誰を責めるとか、誰が悪いとかではない。どんなことがあっても人は強く、たくましく生きていかなければいけないと思わされた、きっかけになりました」

 「シンガー・ソングライターの活動がなければ、人との出会いもなかった。それで今があるんだと思うと、これからは太田が故郷のような気持ちに定着していくのではないでしょうか」


2018.3.2 「毎日新聞」(群馬版)掲載

https://mainichi.jp/articles/20180313/ddl/k10/040/136000c

 (2018年3月2日掲載)

 

-東日本大震災7年-

「福島・浪江に思いをはせ歌う 牛来さん、近況を伝え続け

太田で11日、復興支援ライブ出演/群馬」

 

ふるさとに思いをはせて歌いたい--。東日本大震災と東京電力福島第1原発事故で、福島県浪江町から太田市に避難しているシンガー・ソングライターの牛来(ごらい)美佳さん(32)が、震災発生から7年目となる11日に太田市西長岡町の長岡(ちょうこう)寺で開かれる復興支援ライブにゲスト出演する。「被災地の現状が知られる前に、震災の記憶の風化が進んでいる」と懸念する牛来さんは、4月1日には太田市民会館(飯塚町)で復興支援チャリティーライブを開催し、浪江町などの原発事故被災地の現状と復興への取り組みを紹介する。

 「長岡寺ライブ」は地域の音楽愛好家たちによる「GO!DO音楽祭」の実行委員会が2012年から毎年、…

 


2017.9.3 「福島民友」(福島版)掲載

http://archive.fo/tTjB9

(2017.9.3 掲載)

 

「音楽の力で心の復興 牛来美佳さんら歌声、浪江ふれあいフェス」

 

音楽などを通して心の復興を願うイベント「浪江ふれあいフェスティバル」が2日、浪江町地域スポーツセンターで始まった。地元出身のシンガー・ソングライター門馬よし彦さんや牛来美佳さんらが歌声を響かせた。3日まで。

 ふくしま食祭実行委の主催。浪江復興の思いを持ったアーティストや住民らが集まった。
 初日は、東京電力福島第1原発事故に伴い山形県長井市に移って酒造りを再開させた鈴木酒造店(浪江町)の銘酒「磐城寿」で鏡開きが行われた。
 ステージでは牛来さんや門馬さん、福島市出身のシンガー・ソングライター菅野潤さんらが歌などを披露した。加工品などの販売ブースも設けられ、来場者が買い求めた。
 最終日は、浪江のど自慢カラオケ大会や、東日本大震災時の地元消防団員の葛藤などを描いたアニメ映画「無念」の上映会などが予定されている。時間は午前10時~午後3時30分。

2016.5.22 「福島民報」(福島版)掲載

http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2016/05/post_13756.html

(2016.5.22 掲載)

 

福島第一原発事故

「復興の願い歌に乗せ 広野で音楽イベント 日本青年会議所」

 

日本青年会議所(JC)の音楽イベント「被災地に心を寄せる事業 未来へつなぐメッセージ」は21日、寛仁親王妃信子さまを迎え、広野町中央体育館で開かれた。参加者は東日本大震災、東京電力福島第一原発事故の風化防止と風評払拭(ふっしょく)を改めて誓った。
 全国各地のJC会員と一般町民ら合わせて約600人が参加した。山本樹育(しげなり)会頭が「福島の現状を知り、見て、考えたことを行動に移す契機としてほしい」とあいさつ。開催地の遠藤智町長が歓迎の言葉を述べた。
 浪江町出身のシンガー・ソングライター牛来美佳さんが古里をテーマに創作した「いつかまた浪江の空を」を、シンガー・ソングライター川嶋あいさんが本県、岩手、宮城の中学生に話を聞いて作った「とびら」をそれぞれ披露した。2人に、いわき市の湯本一中合唱部の23人が加わり、日本JC復興支援ソング「未来へつなぐメッセージ」を合唱した。
 信子さまは牛来さんと川嶋さん、湯本一中の合唱部員に自らレシピを考えたジャムをプレゼントされた。
 南双葉JCの木村聡理事長が「音楽の力を受け、これまで以上に地域の復興の歩みを進めることを誓う」と謝辞を述べた。

■今年度事業意見交わす 日本JC理事会
 音楽イベントに先立ち日本JCの理事会が開かれ、今年度事業について意見を交換した。
 同JCは震災と原発事故後、被災地で理事会や復興創造フォーラムを開いている。県内では平成23年5月に郡山市で理事会、26年3月にいわき市でフォーラムを開催した。
 同JCの代表者は20日、浪江町の津波被災地などを視察した。21日には広野町で田植えを体験した。


2016.3.10「毎日新聞」(群馬版)掲載

https://mainichi.jp/articles/20160310/ddl/k07/040/003000c

(2016.3.10 掲載)

 

東日本大震災

「福島第1原発事故 浪江思う4曲熱唱 群馬に避難、牛来美佳さんライブ /福島」

 

原発事故で浪江町から群馬県太田市に避難しているシンガー・ソングライターの牛来(ごらい)美佳さん(30)が、同市の長岡寺(ちょうこうじ)で開かれた「長岡寺ライブ」に出演した。会場となった本堂に入りきれない約200人の聴衆が集まり、ライブの最後には「ふるさと」を合唱し、復興への願いを分かち合った。

 4曲を披露した牛来さんは、昨年3月11日に発表した「いつかまた浪江の空を」も熱唱。浪江町の子どもたちの歌声が入った音源を使い、昨…

 


2016.3.8 「朝日新聞」(群馬版)掲載

http://www.asahi.com/area/gunma/articles/MTW20160308101170001.html

(2018.3.8 掲載)

 

東日本大震災5年

「復興の願い熱唱 太田で支援コンサート」

 

県内や福島からの避難者の音楽家らが出演する、東日本復興支援コンサート(GO!DO音楽祭実行委員会主催)が6日、太田市の長岡寺であった。約200人の観客が集まり、演奏や歌声に耳を傾けた。

 

 コンサートは市内で活動するシンガー・ソングライター星野幸則さん(58)が東日本大震災の2週間後に作った曲「いま、私が望むのは」がきっかけで、2012年に始まり、毎年、この時期に開いている。

 

 星野さんが最初に登場し、この曲を歌った。日常生活を送ることができる幸せを描いた曲だという。「歌を通じて、あのときのことを思い出してくれたかな。日常を過ごせる幸せを忘れてはいけない」

 

 シンガー・ソングライター牛来美佳さん(30)は、故郷の浪江町の映像を映しながら「いつかまた浪江の空を」などを歌った。「現状を伝えながらも未来を伝えたいと思い、曲を作った。昨年より今、少しずつ浪江の未来を信じて思い描くことが出来ていると思う」と話した。

 

 歌を聴いた浪江町出身の女性(70)は「自分が育った土地が汚され、悲しみと絶望感がある。震災や原発事故でこんな状況になるんだと伝えていく努力をあきらめてはいけないと強く感じた」と話した。


2016.3.4 「朝日新聞」(群馬版)掲載

http://www.asahi.com/area/gunma/articles/MTW20160304101170001.html

(2016.3.4 掲載)

 

東日本大震災5年

「浪江の未来 歌に託し」

 

あの震災から間もなく5年が経つ。福島第一原発の事故の影響でいまだに故郷に戻れないシンガー・ソングライターの女性は、「生きる力が試された5年だった」と語った。6日、太田市で開かれる東日本復興支援コンサートに出演する。未来はまだ見えないが、いつか、涙が笑顔に変わる日が来る――。積み重ねた思いを歌に託し、伝える。

 

 遠く遠く 窓の外眺めて 元の未来 探すけれど

 どこにあるの…

 

 福島県浪江町から避難してきたシンガー・ソングライターの牛来(ごらい)美佳さん(30)が、昨年に発表した「いつかまた浪江の空を」の歌詞の一節だ。

 

 「『元の未来』という表現は普段しませんよね。どんな未来だったのでしょうか」

 

 福島第一原発から30キロ圏内に町のほぼ全体が含まれる浪江町は、帰還困難や居住制限区域などに指定され、全町民が町外に避難した。牛来さんはプロモーションビデオの撮影のため、2年前から故郷を数回訪れた。商店街には誰もいない。立ち入り禁止のバリケードの先を見つめ、切なくなった。

 

 伝えたくて

 諦めたくなくて

 想い 歌に 叫ぶけれど

 どこに届くの…

 

 これまでも、震災後の浪江を歌った曲を発表してきた。「この歌詞は私自身。浪江の現状を伝えている歌手活動が、どこに届くのでしょうか」

 

 ビデオには、浪江町の小学生の歌声も収録した。町には6校の小学校があったが、原発事故後は4校が休校し、2校が福島県二本松市で合同の仮校舎となった。収録当時、全校生徒は21人。「浪江に帰って、この歌を家でみんなと歌いたい」と話す子どもたちの笑顔は、希望にあふれているように見えた。

 

 牛来さんは震災から5年を振り返り「生きる力が一番試された5年間だった。失ったものが多いほど、教えられるものが多く、悔しい気持ちがあるほど生きていく力に変えていくしかなかった」。

 

 いまも太田市で娘と暮らしながら歌の創作を続けている。先の見えない不安な生活が続く。

 

 曲名にある「いつか」に浪江の未来を込めた。「数十年後、百年後かもしれないが、どんなに時が流れても、浪江町に人があふれるところを見たい」と話す。

 

 いつかまた浪江の空を またみんなで眺めたいから

 歩くよ どこまでも歩くよ

 涙がいつか 笑顔に

 変わる日が来る

 

 コンサートは午後2時~4時、長岡寺(太田市西長岡町728)で開かれる。県内のバンドなどが出演する。牛来さんは震災の3日後に書いた曲など数曲を披露する。浪江町の映像をスクリーンに映し出しながら歌い、収録した浪江の児童の歌声も流れる。入場無料。

 


2015.3.7 「毎日新聞」(全国版)掲載


2015.3.5「読売新聞」夕刊 (全国版)掲載

東京新聞(群馬地方版)に

掲載されました。


東京新聞:被災者に関心を 福島から避難の歌手・牛来(ごらい)さん 太田で8日 復興支援の無料コンサート:群馬(TOKYO Web) http://t.co/fiUthBtNF3



2015.1.24-SAT-FM桐生 ゲスト出演!

2015.1.24-SAT

 

ラジオ出演FM桐生 16:00~

「舞 Love Music」

 

ゲスト出演…牛来 美佳

 

※サイマルラジオからも視聴出来ます!

楽しいトークをぜひぜひお聴き下さい~♪

 

【サイマルラジオ】

http://www.simulradio.info/


2015.1.10-SAT-NHKラジオ第一 全国放送

2015.1.10-SAT

NHKラジオ第一 全国放送

9:05~9:55

「シリーズ・被災地からの声

~NHK東日本大震災アーカイブス~」

 

収録取材…牛来美佳 出演


2014.8.4-MON-ラジオ福島「月曜Monday夜はこれから!」

2014.8.4-MON

 

RFCラジオ福島 出演!

大和田 新アナ番組

「月曜Monda夜はこれから!」

19:00~20:50

https://www.facebook.com/Monday1458

 

同じく浪江町出身アーティスト

門馬 よし彦 さん、牛来美佳

ジャーナリスト 渡部 真 さん

以上のゲストで出演します♪

Ustreamでも配信しているそうなので、

ぜひチェックして下さいね。


2014.5.11-SAT-NHK福島放送局「警戒区域内でのLIVE」取材映像放映

【牛来美佳 避難区域でLIVE in小高】

 

 


2014.4.25-FRI-FM桐生「友ラジ!」ゲスト出演!

2014.4.25-FRI

 

FM桐生 ラジオ出演

「友ラジ!」

20:00~

 

ゲスト出演

・雑賀 泰行

・牛来 美佳

 

サイマルラジオから聴けます。

ぜひチェックしてね♪


2014.3.11 上毛新聞 牛来美佳 取材記事掲載

震災から満3年。

取材を受けたことが掲載された。

 


2014.3.11 毎日新聞(地方版-群馬)牛来美佳 取材記事掲載

震災から満3年。

取材を受けたことが掲載された。



2014.3.11 東京新聞(地方-群馬)牛来美佳 取材記事掲載

「~帰りたい、帰れない…被災者の気持ち込めライブ

浪江から太田へ避難 シンガー牛来美佳(ごらいみか)~」

 

取材を受けたことが掲載された。

 


2014.3.10 読売新聞(地方版-群馬)牛来美佳 取材記事掲載

「~復興支援へ群馬・太田の寺で音楽祭。

福島・浪江から避難する歌手・牛来美佳さんが自ら作詞作曲の歌熱唱。~」

 

取材を受けたことが掲載された。


YouTube UP!群馬テレビ「震災から間もなく3年…牛来美佳出演」


2013.4.17-「福島民報」取材記事掲載!


You Tube UP!!テレビ生出演(2013.3.14放映-群馬テレビ ニュースeye8)

*mica goRai-牛来 美佳-テレビ生出演*

 

2012.3.14放送
群馬テレビ

20:00~21:00
「ニュースeye8」
~牛来美佳 歌で復興メッセージ~

 

番組内にてスタジオへ生出演。

トークと「浪江町で生まれ育った。」を歌唱披露。 


2012.12.13-「福島民報」取材記事掲載!

2012.12.13 福島民報

「今を生きる 被災者の希望 歌に

15日初の単独ライブ」

取材記事が掲載されています。

 

福島県外の方にも

読んで頂けたらと想います。

どうぞ、ご覧下さい!

http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2012/12/post_5738.html

 

 

(2012.12.13更新 mica goRai)


2012.10.31 「NHK前橋放送局」(群馬版)取材映像

2012.10.31放送
NHK-前橋放送局
18:40~19:00
「ほっとぐんま640」
番組内にて牛来美佳 取材映像。

 

-----以下、「ほっとぐんま640」HP内番組表 引用-----

 

アングルぐんま

~福島を忘れないでシングルマザーの歌声~

太田市に住むシンガーソングライターの牛来美佳さん。
福島県浪江町の出身で、6歳の娘と去年6月から太田市で避難生活を送っています。
牛来さんの生活をおそった東日本大震災。
その避難先で生まれた曲はインターネットで自主販売すると、福島県から県外に避難している人たちなどを中心に話題を呼び、これまでに300枚を売り上げました。
 今、牛来さんは福島に対する偏見と忘れ去られてしまうのではないかという不安と焦りを感じています。全国に散らばる福島の避難者を1人でも元気付けられるよう、そして福島を忘れないでほしいという気持ちをこめて歌い続ける姿を伝えます。

 

 


2012.10.14 朝日新聞-地方版(福島)取材記事掲載!

2012.10.14 朝日新聞の地方版(福島)に、

取材記事が掲載されています。

 

地方版と言う事で福島県外の方にも読んで頂けたらと想います。

どうぞ、ご覧下さい!

http://mytown.asahi.com/fukushima/news.php?k_id=07000741210130001


2012.8.1-WED-さくらFM(兵庫県西宮市)           トークリレー生電話出演

2012.8.1(WED)

 

さくらFM(兵庫県西宮市)16:00~

パーソナリティ:おしな-OSHINA-

トークリレー生電話出演

 

おしなさんと!この距離を生電話トークで繋げます!

 http://sakura-fm.co.jp/archives/357

 


2012.5.22-THU-群馬ラジオ-FM太郎

2012.5.22-(THU)

 

12:30~12:45

18:15~18:30

群馬ラジオ「FM太郎」

太田インフォメーション

~太田市長との対談~


2012.4.20-「上毛新聞」(群馬)取材掲載

mica goRai

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